40歳看護師転職-辞める決心-

前回の記事で、一つ目はやりたいことを書き出す、二つ目は定年後はどういう生活をしていたいか考える、三つ目はまず行動してみるを書き出してみた。書いてみて思ったことは、やりたいことはすらすらと書けるが、定年後はどういう生活をしていたいか考えるというテーマは考えるのに時間がかかった。いったい私はどんな生活を送っていたいのだろうか、何を望んでいるのかと悩んだ。そこで出てきたのが①健康で過ごしたい、②在宅で稼げるようになっていたい、③きれいな家に住んでいたい、④周りから頼られる存在になっていたい、⑤旅行を続けていたいの5点であった。どれを見ても漠然とした姿で、特に「これで成功したい!」といった欲望がなかったことに驚いた。

理想の看護師の姿が見えなくなった時

看護師になったばかりのころは、なりたい姿というものがあった。知識と経験が豊富で急変時もすばやく対応できるかっこいい看護師になりたい。後輩からも頼られる存在でありたい。災害支援ナースになって、災害時に助けれるような看護師になりたい。生涯看護師であり続けたい。そう思っていた。それが、現在は、看護師として病院で働くことに疲れ「現場はもういい」と看護部長に訴えたほどだ。自分の中で、辞めたい理由の決定的な原因というものがなく、色んなストレスの積み重ねが私の中のコップを溢れさせたように思う。患者さんと関わることは嫌いじゃないし、その人の「人となり」を見て関わる楽しさややりがいは十分わかっている。自分との会話で少しでも気が楽になってもらえたり、必要な情報を会話の中で聞き出せたり、約20年で培ってきた看護師としてのコミュニケーション力はある方だと自負している。また、リハビリ病棟、外科病棟、手術室と経験をさせてもらい、様々な知識もつき、急性期で働く自分も好きだった。

ストレスは何があったのか

いったい何が、ストレスの積み重ねになっていったんだろうか。約10年の手術室勤務から病棟へ異動となり、期待と不安があった。しかも、異動先は一番忙しいとされる急性期病棟。病院の赤字経営や患者減少、看護師と医師不足による病棟編成があり、すべての科が一つとなり急性期の患者は一つの病棟に集められたのだ。急性期ともなると忙しさが目まぐるしく、異動してきたばかりの私は電子カルテの使い方から覚えなければならない上に、業務も同時に覚えていかなければいけないストレスを抱えた。同僚たちは皆優しくいい人ばかりだ。忙しくても聞けば答えてくれ、仕事も早くこなして尊敬するばかりであった。

仕事のできる同僚たちに囲まれ安心できる一方、迷惑をかけているんじゃないかという不安は常にあった。それには、インシデント報告に出てくる内容が自分が原因だと感じた場合は特に胸を締め付けられたものだ。インシデントに関しては、自分と関係なくても当事者の立場を考えると辛かった。毎日のように、インシデントや患者や医者からのクレーム、新しい統一事項など出てきて頭がおかしくなりそうだ。インシデントも、相手を責めるような言い方をする者もいれば、それに共感する者がいる。そういう光景を見る事もストレスであった。急性期が一つの病棟に集まっているということは、医師もそれだけ多く関わってくる。医師により指示の出し方が違ったり、科によって指示の出し方、電話の仕方が違ったりと気を配らなければいけないことが多くあった。

ルールを分かっていない私が電話の仕方を誤った時には、電話越しにすごい罵倒され、動悸がするほど落ち込んだのを覚えている。そんな罵倒しなくても、間違いを訂正し教えてくれればいいものを。たくさんのことを覚えることに必死は私は、医師に反論する余裕もなく、ただもやもやとしていたものだ。医師からクレームがあるかもしれないと一連の出来事を前もって師長に伝えたが、師長は医師に前もって謝っただけで、私の行動を否定も肯定もしなかった。あぁ、私はやっぱりいけない行動をしたのだと思い、味方はしてもらいないのだなと少し残念な気持ちになった。師長はとても優しく気さくな方で好きなのに、そんなことを思ってしまう自分も嫌であった。

毎日忙しく動きまわって、ナースコール対応もしていかなければならない。地域柄、高齢者は多くそれに伴い認知症患者も多い。そのため見守りだけのセンサーコールも多く、何度も業務を一時中断される。ある時、忙しい時に認知症患者がナースコールを握りしめていた。ボタンを押すため訪室すると、「眠い」「ご飯は」「・・・(無言)」と何度もコールされる。さすがに耐え切れず、「眠たいなら寝ればいい、そんなことで呼ばないで!」と言ってしまった。こんな言葉をかけてしまう自分の余裕のなさに嫌気がさした。

長日勤は担当する患者の情報を決められた時間までに取らなければいけないタイムプレッシャーがある。情報収集の時間が遅くなれば、それだけ業務開始時間も遅れてくるため必死である。長日勤は担当患者に責任を持ち、その日を担当している。12時間勤務であり、とても長い時間緊張が張り詰めている。また、夜勤も12時間勤務であり、入院が続いたり、ナースコールが鳴りやまない日もあり、全く休憩が取れず朝まで動き続ける日も多々あった。

体の不調が出始める

私は趣味が多い方だと思っている。いつからか、その趣味に手をつけれない自分がいた。お菓子作りをしたいけど、面倒だな。本を読みたいから借りてくるけど、読んでいても集中できず進まない。家の中の片付けもしたいけど、面倒だな。すべてにおいて面倒だ。と思い始め行動できない自分がいた。唯一動けたのは、前もって計画していた家族旅行やイベントである。これには家族も一緒だったことや、すでに予約や振り込みを済ませていたため強制的に行動せざるを得なかった。これがなければ気分転換もできずに、仕事ばかりの毎日で不調が早く出ていたかもしれない。

仕事のことを考えると眠れない夜があり、夜勤の前も動悸がして仮眠が取れず、必ずと言っていいほど下痢を起こしていた。また、夜勤前の日中は何もやる気が起きず、ほとんどの時間を布団で過ごした。ある日、日勤で朝トイレに行ったとき、涙が出そうになった。次の日の朝もトイレで同じように涙が出そうになった。仕事中であるため切り替えて仕事に戻るが、これはもう限界だと気が付いて師長に「辛い」「もう辞めたい」と伝えた。それからも、しばらくは眠れない日が続いた。

仕事を辞める決心

9月に看護部長に辛い現状を話し、12月に辞めたいとも伝えた。その時から辞める決心はしていたが、「10月から体制が変わるから」と言い、曖昧な返事で結果を出してもらえなかった。看護部長は楽しませるように、プライベートの話や昔の思い出話をされたが、私は話を合わせ笑ったり話を聞いたりしているだけで、特に心が軽くなったわけでもなく看護部長室を退室した。10月、師長より「心が決まっているのなら、しっかり決意表明をした方がいい」とアドバイスをもらい、再度、看護部長の元へ伺い12月で辞めたいと伝えた。この時に、まさか前回の私の対応がやる気になって戻ったと思われていたようでびっくりした。また、夫の自営業は大丈夫なのかと持ち出し、私が病院を辞めていいのかと問われ時には唖然とした。そんなことあなたに関係ねぇ!!と。少し怒りさえ覚えた。看護部長は何も分かっていない。私が、興味を持ち始めているライターの仕事についても「逃げになっていないか」と言われ、この発言にも私は怒りを感じた。逃げてもいいではないか、逃げから始まることだってあるはずだ。こんなに辛い状況を分かってもらえないのも辛く、さらなる辞める決心がついた。ここでは働けないと。

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